はじめに
2006年に韓国から何の手続きもせずに日本へ輸入した軟体動物標本について、新種記載を行いたいが、ABS手続き上問題はないかという相談を、日本の研究者から受けました。標本はすでに日本にあります。
韓国政府からの情報によると、2018年8月17日以前に日本へ輸入された遺伝資源のABS手続きは不要とのことでした。また、その遺伝資源を利用して、今後執筆する新種記載の論文公表についても問題ないようです。
1.ABSの基本プロセス
海外の遺伝資源を利用する際は、通常、次の7段階のプロセスを踏みます。ただし、提供国、提供組織と利用組織との関係、また、遺伝資源の種類によっては、一部手続きが不要であったり順序が前後する場合もあります。
(1)信頼できる提供国相手の決定
(2)提供国のABS情報の収集
(3)関連する国際条約及び利用国(日本)の法令の確認
(4)「相互に合意する条件(MAT)」を盛り込んだ契約の締結
(5)提供国政府から「情報に基づく事前の同意(PIC)」の取得
(6)「材料移転契約(MTA)」の締結
(7)輸送手段の確保
2.具体的な対応
1)提供国の相手
韓国の大学研究者Aと日本の機関に属する研究者Bは、2006年に韓国で共同調査を行い、研究者Aが提供者となりました。
2)提供国のABS情報
生物多様性条約(CBD)は1993年12月に発効しました。さらに、遺伝資源の提供国と利用国が取るべき措置などを定めた名古屋議定書は2014年7月に発効しました。
一般的に、CBDは1993年発効以後の行為に効力が及ぶと解釈されています。つまり、1993年からは、CBDの規定により、遺伝資源のアクセスにはPICとMATが必要であるということです。
今回の標本の取得は2006年であったため、手続きが必要であったと考えられました。そこで、韓国の法令に、過去の遺伝資源取得についてどのような条文があるかを調べることにしました。
韓国は、生物多様性条約を1995年、名古屋議定書を2017年にそれぞれ批准しています。ABSクリアリングハウスのHPには2019年発効の韓国法令4本が掲載されており、環境省の諸外国法令等の和訳サイトには、2012年と2017年制定の法律和訳2本が載っています。しかし、いずれも過去に取得した遺伝資源についての記載はありませんでした。
韓国政府は、Korea ABS Research Centerを設けており、問い合わせに対しては迅速に対応してくれます(ABS Report No. 4を参照)。そこで、同センターにメールで相談することにしました。その概要は次のとおりです。
【経緯】
・韓国の研究者Aと日本の研究者Bは、2006年に韓国で軟体動物の共同研究を行い、ABS手続きを経ずに液浸標本を日本に持ち込み、Bの日本の所属機関に保管した。
・研究者Bはこの標本の新種記載論文を発表し、ホロタイプ標本をBの所属機関に寄託したいと考えている。
・残りの標本については、韓国の博物館にパラタイプ標本として寄託したい。
【質問】
・2006年に日本に持ち込んだ韓国の標本について、現時点でABS手続は必要か。
・必要な場合、研究者Aと研究者Bの所属機関の間でMTAを締結する必要があるか。
・研究者Aが研究者Bから標本を受け取り、韓国の博物館に保管する場合、手続は必要か。
【回答】
・韓国の標本が2018年8月17日以前に日本に移転されたことが明確であれば、韓国におけるABS手続は不要。名古屋議定書の韓国における実施法である「遺伝資源へのアクセス及びその利用から生じる利益の公正かつ衡平な分配に関する法律」(通称「遺伝資源法」)は、2017年8月17日に施行され、この法律に基づくABS報告義務は、1年間の猶予期間を経て、2018年8月17日から適用されている。したがって、それ以前にアクセスされた遺伝資源には遡及適用されない。
・上記理由から、研究者Aと日本の機関との間でMTAを締結する法的義務はない。ただし、研究者Bは個人として、日本の機関への寄託申請を提出するか、MTAを締結して標本移転の証拠を残すことを検討できる。これは基本的に、関係当事者および機関が判断すべきである。
・研究者Aが大韓民国の国民であり、対象資源が大韓民国起源であるため、一般的な手続きを経て寄託することが可能。研究者Aは、寄託先となる韓国の博物館と相談し、当該資源が実際に寄託可能かどうかを確認することが適切。
3)日本の法令
すでに日本への輸入はすんでしまったのですが、当時確認すべきは、『水産資源保護法』であると考えられます。しかし、輸入した液浸標本は生きていない水産動物で、かつ養殖用以外であり、動物検疫の対象外と考えられます。
4)MAT・PIC・MTA
MATとPICは不要です。MTAについては当事者同士の考えに基づくとのことです。また、今回の標本を利用して論文を公表することも問題ないと考えられます。
おわりに
今回のように、1993年以降にABS手続きを経ずに遺伝資源を日本は輸入してしまったという事例は多いのではないでしょうか。実際に研究に使い始める、あるいは論文執筆の段階になって初めてABS手続きを取っていなかったことに気づくこともあります。このような場合、新たに共同研究者を探す、改めてサンプルの送付を依頼するなどの対応が必要となることがあります。
ABS手続きの難しさは、提供国の法令に従って遺伝資源を取得するという点にあります。ABSクリアリングハウスで法令情報を取得することは比較的容易ですが、その解釈や実際の運用を把握することは非常に難しいことです。
今回も韓国のABS Research Centerからの回答が大きな助けとなりました。
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