はじめに

フィリピンの共同研究者が採取した環境微生物から抽出したDNAを、日本へ輸入したいという相談を国内研究者から受けました。今回は、フィリピンにおけるABS対応と、契約交渉の過程について詳しく紹介します。

1.ABSの基本プロセス

海外の遺伝資源を利用する場合、一般的には次の7段階のプロセスを経ます。ただし、提供国の法制度、提供国研究機関との関係性、遺伝資源の種類によっては、一部の手続きが不要であったり、手続順序が変わったりする場合があります。
(1)信頼できる提供国相手の決定
(2)提供国のABS情報の収集
(3)他の国際条約、利用国(日本)の法令の遵守
(4)「相互に合意する条件(MAT)」を盛り込んだ契約の締結
(5)提供国政府から「情報に基づく事前の同意(PIC)」の取得
(6)「材料移転契約(MTA)」の締結
(7)試料輸送手段の確保

2.具体的な対応

1)提供国の相手

相手はフィリピンの大学研究者であり、この大学と日本の研究者の所属組織とはすでに共同研究契約を締結していました。環境微生物の採取には日本の研究者も立ち会いますが、実際の採取作業およびDNA抽出などの作業はフィリピンの研究者が行うこととなっていました。したがって、採取された試料は、すべてフィリピンの大学の資産として扱われるとのことでした。

2)提供国のABS情報

フィリピンは名古屋議定書の締約国であり、国立遺伝学研究所 ABS支援室のHPには、学術研究向けABS情報の概要とアクセス手順が掲載されています。ここに書かれている6種の必要項目について、まず、ABSクリアリングハウスに掲載されている国内連絡先へメールで問い合わせましたが、返信は得られませんでした。
そこで、フィリピンの共同研究者にABS手続きの必要性を伝え、次の(1)~(6)の必要項目ついて、政府機関へ確認してもらいました。
(1)フィリピンの大学との共同研究契約
(2)フィリピンの大学の学長による事前承諾書
(3)フィリピンの所管政府機関との合意覚書(Memorandum of Agreement, MoA)
(4)フィリピンの所管当局からの無償研究許可(Grant-in-Aid Research Permit, GP)
(5)国内移転許可(Local Transfer Permit, LTP)
(6)輸出許可(Export Permit, EP)
共同研究者が『科学技術省(Department of Science and Technology, DOST)』にメールし、『環境天然資源省(Department of Environment and Natural Resources, DENR)』に直接赴いてくれ、日本側とのメールでの調整の結果、必要項目(1)~(6)に関して以下の点が確認されました。
(1)フィリピンの大学と日本の組織との既往の覚書で代替可能
(2)フィリピンの大学と日本の組織とのMTAで代替可能
(3)フィリピンと日本の政府間合意に基づく研究であるため、この共同研究のMoAで代替可能
(4)今回の試料については不要
(5)および(6)『DENR』からの許可は不要だが、『保健省検疫局(Department of Health-Bureau of Quarantine)』からのクリアランスレターが必要

3)日本の法令

採取された環境微生物から抽出したDNAについて、日本の植物防疫法上の取扱を確認しました。植物病原性ウイルスが混入している可能性が完全には排除できないため、『輸入禁止品』に該当することがわかりました。そのため、輸入禁止品の輸入手続きを経たうえで、日本へ輸入することとなりました。

4)MAT

本件では、MTAにMATの内容を盛り込む方式が採用されました。

5)PIC

上記の必要項目(1)~(3)に関する文書の承認、および『保健省検疫局』からのクリアランスレターの取得が、PICに相当する手続きとして位置付けられました。

6)MTA

相手国の大学から送付されたMTA案は、UBMTAにフィリピン国内法の要件を追加した内容でした。日本側から複数の質問を付し、内容については合意する旨回答したところ、先方の法務部門による審査が行われ、約2か月後に、質問への回答と新たなMTA案が提示されました。
日本側からの質問とその回答は次のとおりです。
(1)署名場所:日本側組織の長がフィリピンで署名するとの記載があったが、これを日本国内で署名する形式に修正したい。
(2)公証およびアポスティーユ:民間団体が発行した文書の場合、日本の公証人役場で公証後、外務省によるアポスティーユ取得が必要との説明があった。このため、双方に別個の認証ページを設ける形式に修正したい。
(3)証人の署名:日本組織の長の署名後に、証人2名が署名することが必要とのことであり、了承する。
(4)PDFと原本の送付:公証およびアポスティーユ取得後、PDFを事前送付することは可能だが、正式手続きのため原本も郵送する必要があるとのことであり、了承する。
さらに、根拠法と紛争の解決について次のような条文の追加を要求してきました。
【フィリピン側提案1】
・準拠法をフィリピン法とする。
・紛争をフィリピンの裁判所において解決する。
本契約は学際間のものであり、紛争は誠意をもって解決することが先決です。準拠法をフィリピン法とすることには従いますが、裁判ではなく仲裁による解決に変更するよう交渉を始めました。
【日本側提案1】
・フィリピン側が申立人の場合には日本の仲裁機関、日本側が申立人の場合にはフィリピンの仲裁機関で解決する。
・言語を英語とする。
この日本側提案に対し、フィリピン側は法務部門と協議した上で、次の懸念点を示しました。
「仲裁は一般的に迅速な紛争解決手段とされている。しかし、本校が契約違反と判断した事案について、日本での仲裁に出向くことは現実的ではなく、費用負担も大きいため、実際には仲裁を申し立てることが困難である。その結果、紛争が提起されない可能性すらある。
そこで、紛争解決のための手続とその場所について、被害を受けた当事者が選択できるようにすることを提案する。」
【フィリピン側提案2】
・フィリピンまたは日本における裁判所、あるいはいずれかの国における仲裁機関を当事者が選択することにより、解決する。
これを受けて、日本側では法務部門に相談し、ⅰ)問題が生じた際には誠実な協議を重視する、ⅱ)適用される仲裁機関の規則を明記するという趣旨の次のような提案をし、相手側に了承されました。
【日本側提案2】
・当事者は、可能な限り友好的に紛争解決する。
・当事者の選択により、フィリピンまたは日本の裁判所における訴訟、もしくは日本またはフィリピンの仲裁機関のいずれかにより紛争を解決する(仲裁機関の規定を明記)。
日本側の組織の長と承認の署名の後、公証とアポスティーユ取得を行いました。

7)試料輸送

フィリピンの共同研究者が試料を携行して日本へ入国しました。MTA、MoA、学部長室発行の認証書を携行していましたが、空港で提示を求められることはありませんでした。
なお、この認証書は『外務省』および『観光インフラ・企業特区庁』に提出済みであり、旅行目的として「フィリピン〇〇市で採取した細菌サンプルの分子解析を日本の組織で行う」と明記されていました。
ただし、試料は『輸入禁止品』であり、空港内の植物防疫所へ立ち寄り、検査を受けなければなりませんでした。日本での研究には、厳重な管理が必要となりました。

おわりに

日本の研究者から相談をうけたのは10月下旬であり、相手組織の署名と公証により正式書類として日本へ送付されたのは翌年4月初旬でした。MTAの内容交渉に時間を要したものの、日本側にかなり不利となる内容は回避できました。
しかし、準拠法をフィリピン法としたことは、まだ平等とはいえません。「準拠法は当事者間で協議して決定する。協議が整わない場合には、紛争発生地の法を準拠法とする。」という内容の交渉も必要であったかと思われます。さらに、使用言語を明記しませんでしたが、「裁判または仲裁の使用言語は、当事者の合意により決定する。合意が成立しない場合、仲裁は英語、裁判はそれぞれの裁判所の法廷言語とする。」という内容の交渉も必要でした。
なお、フィリピン側が提訴して自国での裁判で解決したい場合には、フィリピンの裁判所での決定を日本の裁判所で執行判定することが必要となります。
本件では、共同研究者が政府との交渉や学内法務部門との連絡を迅速に担ってくれたことにより、必要書類や手続きの全体像を明確に把握することができました。本件を通じ、同研究者の存在の重要性を改めて認識しました。

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